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スタッフの思うまま、日々の出来事や、気になった事、オススメ情報などを書いていきます。
忘備録も兼ねています。

一枚の絵画に、一節の歌に

一枚の絵画に、一節の歌に、心を救われ熱く燃え上がることがあります。
しかし、その絵画や音楽は救いの為に存在している訳ではありません。
誰かの為に近づく訳でもなく遠ざかる訳でもなく、それらはただ輝き続けているのです。 私は大分に来て10年がたち、一人の時間というものが当たり前になってきています。
仕事内容の大部分がインドアなので、人と会う機会というものが比較的少ない状況にあります。

一人の時間というものは、他人に気を遣わなくても済むためにストレスが少なく、それゆえに自分の思いが何にもぶつからずにどんどん飛躍していきます。
それがいいことなのかどうかは私はわかりませんが、自分と向き合う時間はとても味わい深いものです。
私は趣味で絵を描いているのですが、自分の考えを一人きりで反芻していく時間で、その形も大きく変わりました。
以前は風景画や静物画など、具象が多かったのですが、自分は何をして生きるべきか・・・という青年期特有の悩みが、自分の心の奥にある言葉では言い表せないもやもやのようなものを描かせるように変わってきています。
悩み、と書きましたが、それは苦痛ではなく、自分にとって大切な時間です。

常に入れ替わる野心と自信喪失、毎日がその繰り返しだった20代前半は、事あるごとに挫折を経験し、その都度ひどく落ち込んでいました。
特に相談できる人間もおらず、いろんな本や絵画、音楽に救いを求めては感情の浮き沈みを繰り返していました。
そのころは何かつらいことがあると、周りの人間が助けてくれることがあたりまえだと思っていて、しかし現実がそうあるはずもなく、自分の勝手さを棚に上げ、周りの環境を逆恨みしていました。
あの下らない、愚かしい大人たちの言う「人生」とかいうものに食われて堪るか。
俺はあいつらの進める退屈な、どんよりと淀んだ人生には決して入らないぞ。
―そんな反抗心だけが唯一の支えでした。
しかし、落ち込んだ気分を怒りでごまかしても、なかなか忘れることができません。
そう簡単に自分の打ちこむものは見つからないのです。
何もかも忘れて、打ち込めるもの。
馬鹿になれるもの。
ゼロになって真っ赤に熱くなれるもの。
それを探すことに次第に必死になっていきました。

それからしばらく自分の生きている意味、というものを考えるようになりました。
このままひっそりと死んでいき、誰にも自分が存在したことを忘れられるのは嫌だ。
そうならないためにはどうすればいいのか。
しかしいつまでたっても答えは見つからない。
そんなどうしようもない考えを常に繰り返していたのです。
今思えば、結局自分は世界と繋がりたかっただけなのに、その世界を拒絶していた訳です。

今はあのころよりも少し肩の力が抜け、周りの物事を素直に見られるようにもなってきました。
そして昔は気付くことができなかった、素晴らしい世界もいくつか見ることができました。
それは自分の世界であったり、周りの世界であったり、形は様々です。

今私が思えることは、本当に素晴らしい物事(例えば私が出会ったものなら、絵画や音楽、詩、考え)は、自分の状況によってその都度救いを求めるものではなく、それらはもっとはるか遠くで常に一定の輝きを放ち続けているものなのです。
その素晴らしさは、心の中に滾らせることのできるものを持っている人間に飛び火します。
人間もしかり、懸命に生き、情熱を燃やせば、その熱い「なにか」はしかるべき場所に飛び火するのです。
我々にとっての救い、希望の光は、与えられるものではなく、触発によって自分で見つけ出すものなのではないでしょうか。

現在、気持ちのいいニュースばかりが流れているとはいえない状況が続いていますが、こんな時だからこそ、一人ひとりが胸に熱いものをもって、一所懸命生きるべきだとも思えます。
一枚の絵画に、一節の歌に、心を救われ熱く燃え上がることもあります。
情熱をもって生きれば、私たちはいつでも、どんな形であっても、何かの希望の光になることができると信じています。

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